秋やんけ

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2017

 

 

2016年が終わっていた。

 

 

 

 

自覚なく終わったわけじゃない。でもちゃんと振り返ってまとめておいたわけでもない。

つらいことがあったり、実りがあったり、いろんなことがあった。

 

 

1. 映画がよかった

ズートピア、シン・ゴジラ、怒り、この世界の片隅に、などなど。

すごくいい。と思える映画がたくさんあって、まんべんなく影響を受けた。

また、Amazonプライムがすごくよくて、今まで気になっていた映画をたくさん見た。

好きな映画は繰り返して観てしまうのでそれでも50本くらいだけど、

心に残っているのは『アメリカン・ビューティ』『悪魔のいけにえ』『ゴッド・ファーザー』

 

 

2. 旅に出た

台湾、京都大阪、スペイン・イタリアを旅した。

 

台湾はとにかく友人と一緒にゲラゲラと笑って、食べて、たくさん歩いた。

デザインや雑貨などに美意識がかなり一致しつつ、個人の好きなものが確立されている友人たちだったので、

初めて見るようなものたちに一緒に驚き、ショックを受け、笑うことができた。

 

京都/大阪は、弟との二人旅だった。

ガルパンのオンリーイベントに参加するという名目で出向き、さんざん食いだおれ、

夜の京都を、北野天満宮から御所を経由して清水寺から駅前のホテルまで歩いた。

その最中、『これからが、これまでを決める』という言葉を得ることができて、

『これまでが、これからを決める』と考えがちな私にはかなり効いた。

京都では食い倒れすぎた反省から、大阪ではたいしてグルメせず、スパ・ワールドという

豊臣秀吉が作ったようなスーパー銭湯で寝泊まりした。おすすめです。

 

スペイン・イタリア。

一人旅、から、友人ふたり+弟と同行の旅、から一人旅。

これは写真含めて本にまとめたいと思っている。

本当にいろんなことを考え、言葉が浮かび、光と色彩のうずを土産にして、帰ってきた。

 

 

3. 死ぬほど漫画をかいた。

1年で11個のイベントに参加し、すべてのイベントに新刊を出した。

ここまでやったのは初めてだし、もうやらないと思う。きつすぎた。

ただ自分の漫画を読む機会が増えたことで欠点を洗い出すこともできて、

その結果かなり読みやすいものがかけるようになってきたと思う。

 

 

4. 3年かけた漫画を完結させた。

二次創作なんだけど、わりかし壮大な風呂敷を広げて、それをたたむ事が出来た。

もうここまで来るのが本当に大変で、永久に終わらないのでは?という気持ちになりながら描いたけど、

酸素の薄い高山をガツガツ登りつめるように、一歩、一歩、全力を賭して描くことができた。

これだけ達成感のあること、そうそうない。やってよかった。

 

 

5. ありとあらゆる別れがあった

年末にかけて、想像できるだけの、ありとあらゆる別れがあった。質も量も、とても重いやつ。

これをネガティブにとらえるのは得策ではないと判断して、

とにかく『対処する』というスタンスでことに臨んだ。

とても、とても疲れてしまったけど、おかげでそれまで見えなかったものが見えるようになった。

 

 

6. 手に入れて・買ってよかったもの

鳥のツムツム

アイリスオーヤマの炊飯器

本棚

座椅子

耐熱ガラス皿

複合プリンター

ガーランド

3DS、ポケモン・サン

アマゾンプライム

レモン畑の吸血鬼

 

 

 

 

 

ここからは2017年のことを書いていく。

 

 

 

1. COMITIAに出る

創作漫画と、旅行記を作る。

友人たちとの雑誌を作る。

いずれも紙にとことんこだわったもの。インデザインも買うぞ。

 

2. 人物デッサン

関節のことを本当に知らない。知りたい。筋肉や、骨のこともわからない。

絵が上手くなるかはわからないけど、こつこつやっていきたい。

 

3. パース、背景の習得

背景をかいて、そこに人物を置く練習をしたい。

 

4.シェアハウス

構想をきちんと練る。

 

5. くじらを見る。

見たことがないので。これが一番の目標。

 

6. 漫画をもっと良くする

コマ割り、線画、トーン、吹き出し、書き文字の勉強。

 

 

7. 行きたいところ

ハワイ、NY、ディズニーランド

 

 

 

とにかく鯨を見たい。

なんだかんだでそれだけかもしれない。

だって鯨を見るためにはお金が必要で、そのために仕事する。

そういうふうにずっと生きていけたらと思うし、

ずっと見守っていてね、とも思います。どうぞよろしく。

 

 

 

 

 

 

 

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夏も夏

 

 

 

 

 

友人がブログを日記のようにつけはじめた。

そんでまんまと影響されて日記を書きたくなっちゃったんである。いいのだ。影響は受けるべきなのだ。人生は短い。

 

 

親友の結婚式

インターネットの生(なま)の悪意

同人活動

 

と、話したいことは3つくらいある、いやこれでもだいぶ絞っている。

私の大好きなディズニーの鳥の話とかめっちゃしたいけど、ううん、時間がないので我慢だ。

 

 

親友が結婚をした。

籍を入れたのは1月末で、式に招かれた。

『緊張しすぎてテーブルの花とか食べちゃうかも』って言ったら

『頼むから黙っててくれ』と笑って言われた。

 

彼らはいわゆる職場結婚だったので、上司のスピーチなどもあった。

そろいもそろって「夫さんになにか不穏な動きがあるかもしれませんが~~」だとか

「私たち夫婦にはもう会話がほとんどありませんが~~」とか言ってて、閉口した。

 

それにひきかえ新郎のお父様のスピーチは本当に素晴らしかった。

「新郎の顔や性格など、すべて母親似ですが、父である私とこの子には共通点があります。

 それは、素晴らしい女性を伴侶として迎えることができたということです。」

 

冠婚葬祭でのスピーチは人間としての『格』が試される。

人に話を聞いてもらえる人は孤独ではない。

 

 

 

 

 

生の悪意について。

 

これ読まれてるかもしれないし、それならそれでいいんですけれど、

すこしトラブルに見舞われました。とても嫌な気持ちになった。

 

詳細は書かないし、愚痴も言いたくないけど、いろんな人に迷惑をかけてしまったし、とにかく疲れた。

 

よくもまあ、そんな人生で納得ができるなぁ、という感想を抱きました。

納得ができていないから私みたいなのに嫌がらせをするのか?

本当にそれでいいのか?やり直したほうがよくないか?

 

 

残念ながら私は彼らを助けてあげることができない。

もっと神みたいな度量があれば、彼らの不幸を癒してあげることもできたかもしれないのに。

でもわたしは人間だ。生きている。傷つきもする。

私のこの腕いっぱいの幸福を彼らに分けてあげることができないということに、やり場のない悲しみやさみしさを覚える。

 

 

 

 

 

同人活動

 

 

 

6月末の七駆オンリーとガルパンオンリーに出ました。ヒュー!

七駆オンリーで、思い出しても胃が痛くなるようなトラブルがあって、

本当に、あの、胃が、いた……い……

 

あなたは野球部員。1年ぶりの雪辱を晴らすぜ!という大事な大事な試合、

この日のためにめちゃめちゃ頑張ってきた!どんなつらい試練も乗り越えてきた!!

うおーーーー!!負けないぞーーーーー!!!!!→当日寝坊

 

みたいなつらさのあるトラブルでした。書いていてまたつらくなってきた。

(寝坊したわけではありません、念のため)

ツイッターで応援のメッセージをいただけなかったら多分その場にへたりこんでた。

うう、みんなありがとう…………。

 

 

 

そんなこんなで本当にいろいろあって、

夏コミの新刊がやばいです。本当にやばい。

日記などしたためてる場合ではないのだ。ああ、もう、あああ!!!!!!

 

 

 

 

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大停電の夜に

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2016と遅すぎる拍手御礼

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私の愛する鳥

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全然大丈夫





相変わらず他人を自分の好き勝手に振り回している気がする。

いつもごめんなさい




6月に入ってから、物凄く悪いことが2つ、物凄くいいことが2つ

いいことがおそらく20個越え。だからやっぱりわたしの人生はプラス方向だ。

結局なにもかもは捉え方ひとつなのだから今の『いい感じ』の波にまかせてモノを見たい。






向いてなさすぎ!もう二度とやらない!

と去年決意していたはずの同人の企画をまたやっている。

メールの返信は相変わらず苦手で、文面を打ち込むたび苦痛で泣きそう。

でもやっぱり自分の見たい景色のために動くことはやめられない。

死ぬときに最高の真っ白が見たいのよ






夜になるたびに嫉妬や劣等感で枕を濡らして、

朝にはケロリとしてコーヒーを淹れてる。昼は絵を描いている。

後ろ盾や応援のなければ有り得ない日々を過ごしている。

わたしはこの恵まれた環境を全力で消費している。






買った雑誌に占いの特集が2つあって

片方の牡羊座のラッキーカラーはゴールド、もう片方はシルバーだった。

重ねづけしたい、おしゃれがしたい。

前髪を眉上3センチほどまでに切ってしまったし、

なんか夏に向けて自分のプロデュースに追い込みをかけてるみたいな気分がある。

ツモリチサトのワンピース着て夏コミ行きたい






漫画について。

こないだのブログで公約したうちでは、持ち込み以外のことを達成しています。

エロ描いたけど、あとから考えるとやっぱり恥ずかしいな


そして持ち込み用に16ページの漫画を描いたはいいんだけど、

なんか、賞とか取るぞ!!って意気込みすぎて、自分が描いた漫画じゃないような

おかしなものが出来てしまって、出来上がった瞬間からもう読みたくなくて、

それはそれできっとこの世のどこかに需要はあるのだろうけど、

どうせ持ち込むならそれともうひとつ、自分の持ち味を全部突っ込んだようなやつを作って

ふたつ持ち込んでやれ、と思ってそれを描いています。








梅雨の季節はどうも気を紛らわせることが難しくて

実はすこし憂鬱な毎日だったりする


それも味わいきって漫画にするだけだから、やるよ。








エロと進路と

めっきり春を超えて初夏になってしまった。いつも淹れる紅茶に氷を浮かべてアイスティーにした。こういうところから季節は変わっていく、意識が追いつくのはいつも後手後手の話。

 

 

突然だけど、わたしは最近自分の未来についてものすごく真面目に考えている。いや遅いだろって言われたら本当に遅いのだけど(わたしはこのあいだ誕生日を迎えてまたシャレにならない年齢になってしまった)、いままで逃げて逃げてきたことに立ち向かう勇気が出てきたってことで、わたしとしてはこれは喜ばしいこと。逃げて逃げて、落とし前をつけずに死んでいく人間のほうがおそらく多い。そうして降り積もった後悔やらため息やらの塊がいままさに生きている地球なのではないかな?と思う。げに嘆くべきは人の世という。まったくそのとおりです。そして紛れもなくわたしはその世界を構成する一要因。


 

その自分の未来というのが、これがまた恥ずかしいような照れくさいようなことなんですけど、漫画家になりたいんです。漫画でごはんを食べていきたい。できたらおいしいやつ。漫画で家賃を払いたい。広くなくてもいいから友達を呼びやすい家の家賃を。漫画で服や靴を買いたい。できればいいやつを。するかはわからないけど結婚したり子供を産むのにだってお金がかかるわけで、それを払いたい、自分の書いた漫画でお金をもらって。

 

 

こんなしゃれにならないような年齢になって目指すものがそれかよ~!ドッヒェー!みたいなリアクションを期待して(半分は期待しないで)両親にそれを告げたら、「そうなるしかないような気はしていた」と言われたことで、背中を押されたはずはないのに勝手に元気になった。

 

 

もともとわたしは、これは嫌味に捉えないで欲しいんだけど、『勉強のできる子』で、田舎の小中高ではそれなりの異彩をはなつガキだった。はずなんです。そうじゃなかったらああいう扱いはされなかったはずだ、と思い当たることがいくつかある。当日になるまで知らされなかった実力テストで1位を取ったりとか、そういう漫画みたいなことも何度かやった。あんたさえいなければ、と2位だったガリ勉優等生に面と向かって泣かれたりとか、そういうこともあった。絵を書くのが好きで切り絵みたいなスタイリッシュの真似事をしたような絵を描いて人の注目も集められた。要は、無自覚に他人のコンプレックスをちょいちょい刺激してしまうきらいのある子供で、いまのわたしだったら絶対関わり合いになりたくないようなガキ、それがわたしだった。

 

 

そんなわたしが浪人を経て大学に入った。夢見れば総理大臣にでもなれるような立派な校章のついた大学で、わたしは横目をかすめ通り過ぎる『家柄から何からまじですごいインテリ共』に恐れをなしながら、与えられた環境で精一杯自分というものを発揮しようとして、身の丈に合わない突飛なキャラクターを演じていた。そしてイタリアに留学。イタリアというのは嘘がすぐにばれる国なんです。カルチャーショックの積み重ねに精神は決壊してほうほうのていで帰国。

 


そして数年間、東京のアパートに引きこもってメンをヘラつかせていた。

家族は謎の包容力でわたしをほうっておいてくれたし、幸運にもなぜか優しくしてくれる友人、わたしが死にたいとうめいている横で昼寝をしてくれるような友人が、そばにいてくれたおかげでまあまあ回復してきたところに、ディズニーの長編映画『三人の騎士』に出てくるホセ・キャリオカというキャラクターに出会い、しばらく描かないでいた絵を描いてみようと思って今に至る。


もちろん引きこもっていた、といっても、それなりに危機感はあっていろんなバイトを渡り歩いた。コンビニ店員から居酒屋店員、バーテンダー、事務員とか通訳とか翻訳家とかとうもろこし売りとか香水の販売員とか美容関係の仕事だとか。でもなにひとつ続かなかった。理由はいろいろあるけど、どこにいっても身体的な特徴についてセクハラを受けたことや、そもそもの社会性のなさが要因としては大きい。とにかく本当に、なにひとつ続かなかった。

 

 

そんなわたしが唯一、年単位で続けられていること、それが、漫画をかくこと、なんです。

英語もイタリア語も、まあ使えます。だから大学に行って勉強する機会が与えられたのは本当によかったとは思う。でも仕事にして食べていける自信はない。いろんな仕事をやってみたけど、結局のところ全部ねっこのところで性に合わなくてだめだった。そういう、消去法とブレーンストーミングが合致した、唯一の職業が漫画家ってわけです。

 

 

どう?もう逃げられなくないですか?

わたしはもうここまでだ、と思いました。向き合わなきゃ、描かなきゃ、と思いました。

 

 

絵が下手、デッサンができない、構図力もない、パースも取れない、キャラデザもできない、色彩センスもない、メカが駄目、ファンタジーに馴染みはない、美大とか専門とかに行ったことがない、つまり『師匠がいない』、シャレにならない年齢。

 

 

書き出してみるとなかなかえぐられる条件の悪さだけど、これを超えてあまりある『逃げられなさ』が自分の中にあるおかげで、なんとか頑張れそうかな?という気にはなってる。というか、やらないとヤバい。だって逃げられないわけだから。落とし前をつけずに死んでいくのは嫌だから。


利根川先生の仰るような具体的にコツコツお金を貯めるタイプの、ある種ステレオタイプで標準的な人生がわたしの第一志望だった。そしてわたしにはそれができなかった。大きな大学には入ったけど、エリートとして大企業に送り込まれることはかなわなかった。公務員にもなれなかった。周りの嘆きや恨み言が聞こえてこないわけでもないです。自分を責めないわけでもないです。ただ、もうこれしかないんです。本当に、本当の意味で、『逃げられない』。

 

 

 

 


というわけで、5月末までには16ページの漫画を作って、具体的な編集部に持ち込みをしてみようと思う。

同人はエロに挑戦してみようと思う。(エロは画力が上がると聞いたので)

 

 

 

 

 

そういうこと、それだけ。

こんなに長々と書いたけど結論なんてひとことでよかったんだね。『もう逃げられない!』

 

 

 

 

 

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バルーンと縫い針1

家は書くもので自分を語るし、また、そうあるべきだと思う。絵かきは絵で自分を語るし、そうあるべきなのだ。それに自分のことしか話さない人間は、だいたいにおいて嫌われる。わたしだって目の前の人間が延々自分のことばかり話していたら、どんなにおいしいケーキが目の前にあったとしても表情が曇る。

 

 

しかしながら、自分のような馬鹿な人間の自意識はいつのまにか自分の中に溜まっていく。これは自然現象だ。工場から川につながる排水口の真下、水底のヘドロのように、毎日着実に、ふりつもるように肥えて醜く淀む。そしていつか爆発する。汚泥をつめてふくらんだ水風船にすこしとがった針が刺さった、それだけのきっかけで破裂し、周りに汚いものを撒き散らす。具体的に言えば、手当たり次第の友人にド深夜の電話をかけて迷惑をかけたりとか、解決策の見えない暗い話を延々するとか、そういうことをする。死にたい、とかいう。

 

そしていま、わたしの自意識のヘドロ風船は爆発寸前だ。ツイッターなどのSNSでリアルタイムな排出が許されるようになって、多少の承認を得やすくなっていたとしても、それは多少のガス抜きにしかならない。所詮スナック菓子でしかない。そんなことではわたしの煮凝った自意識はびくともしないしどうにもならない。だからここでは徹底的に自分のことを書く。見る人が見たらたぶん身バレもする。それでいいと思う。広大なインターネットの数キロバイトをわたしにください。ここに自分についての恥ずかしい記事を書けば、他人を延々とイライラさせる迷惑をかける機会を増やしたり、よくしらない国のことや芸能人を誹謗中傷した(ことはないけど)りしせずに済む気がするから。

 

 

たしは平成元年の4月1日、00:00きっかりに、S県のちいさな病院で産まれた。助産師は産まれてきたわたしを見て「この子は賢くなる!」と言ったらしい。たぶんどの赤ん坊にも言っているし、彼の勘が当たっているかどうかわたしは判断したくない。

ちょうど父方母方の年寄りがバンバン死にまくっていたころだったため、新しい命が出てきたことは親戚一同にとって非常にハッピーなニュースだったらしい。わたしは大勢に祝福され、もてはやされ、超スーパーかわいがられた。希望のマスコットみたいな存在だったのだろう。

 

父親は超高学歴の変人で、そのころ予備校教師だった。母親は高校の教員をしていた。父親は本の虫で、母親は父に比べれば社交的でほがらかで、おおらかな人間だ。父は頭がいい。数カ国語に造詣があって、60歳のいまでも東大の赤本を各教科スラスラ解いてしまう。母親はそんな父親と自分がつりあわないのではと悩んだこともあったらしいが、わたしからしたら父親の人間として足りない部分を母親がカヴァーしているいい夫婦のあいだに生まれることが出来たと思っていて、心から感謝している。

 

 

幼稚園にあがるころ、妹が生まれた。彼女が生まれた頃のことはよく覚えていない。オギャオギャいう変なメンバーが加入した、くらいに思っていた気がする。わたしは1歳半くらいですでにある程度言葉をつかえるようになっていたし、3歳頃にはいっぱしの口をきいていたので、この世のことは何もわからないぞ?みたいな顔をしてベビーベッドに寝ている妹をかわいそうに思い、彼女にひらがなを教えていた。そんな写真が残っている。


そのころわたしにはEちゃんというお友達がいた。近所に住む女の子で、イギリス人とのハーフだった。家族ぐるみで付き合いがあり、気が強い子でよく泣かされた。公園で泥まみれになって遊んだり、土手で花をむしって下手な冠を作ったりした。幼稚園が別々になっても、彼女とは友達だった。いま彼女は非常に美しく成長し、モデルをやっている。テレビCMや、山手線の車内の電子広告で彼女を見ることができる。長いこと会っていないがわたしのことは覚えていてくれているらしい。なつかしくて、本当に会いたい。

 

 

 

幼稚園では、本をよく読んで、咲いている花を延々と見つめ続ける変な子だったらしい。園長先生はいまだにわたしのことを覚えていて、それというのが、タンポポの根がどこまで深いのかを知りたかったわたしは休み時間もお遊戯の時間もお絵かきの時間もつぶしてタンポポの根元をメートル単位で掘り返していたらしいのだ。園芸の土だってただじゃない。本当に迷惑な子供だったと思う。

本はよく読んでいた記憶がある。両親共働きで迎えがおそいときなど、ずっと図書室にいて本を読んでいた。おかげで卒園の頃には図書室にある本はすべて読みきっていた。とくに植物の図鑑が好きだった。赤い実のなる植物にあこがれていて、あまずっぱさを想像しては悦に浸った。それを絵に書くのも好きだった。自分だけのお話を作っては絵本のようにしてホチキスでまとめて母にプレゼントしていた。

 

また、このころわたしは初恋を経験した。Y君という男の子で、ピンク色が好きな男の子だった。バレンタインデーのお返しにと、テディベアの絵が描かれた缶に入った飴をくれたのが嬉しかった。その缶はいまでも持っている。

はしめての疎外感も、このころ味わった。仲のいい友達が、もうあんたとは遊ばない、と突き放してきたことがあった。運動会の組み分けの色が、彼女たちは赤でわたしは黄色だったからだ。赤はいちごの色だからかわいい。黄色はダサいからもうあんたとは遊ばない。という弁だった。わたしは黄色はバナナの色なんだからダサくない、一緒に遊んでほしいと言ったが、彼女達はケラケラ笑うとどこかに行ってしまった。肌寒い廊下でわたしはひとりだった。

 

 

 

 

卒園と、弟の誕生と、いまの実家への大規模な引越しは同時だった。Eちゃんと別れ、古いアパートも幼稚園とも別れることになったわたしは泣いたけれど、そのあとのめまぐるしさにすぐに気を取られてしまった。

弟の誕生には、わたしはあまり興味が持てなかった。6歳も年下で、異性である。よくわからない新メンバーだった。実家の祖父母もわたしにとっては新メンバーだった。春の田舎は草の匂いに満ちていて、道端の花がまぶしいくらいに光っていた。


 

小学校では、顔の整っていて人気があったクラスの女の子と通学班がかぶり、すぐに友達になった。

彼女の家には漫画とゲーム機があって、わたしはそれらにはじめて触れて、興奮した。はじめて読んだ漫画はコナンだった。それまで親の教育方針として、漫画やゲームと縁のない生活をしていたわたしにとってそれは革命だった。小学校3年生のころには漫画のまねをノートやチラシの裏に描いていた。最初はコナンの絵を真似しているだけだったが、そのうちオリジナルキャラを描くようになった。わたしの描く絵の人間の耳がコナンの作者が描く耳と同じなのはこういうことである。怪盗キッドに恋焦がれ、グッズを親にねだった。少年探偵団も友人で結成した。消しゴムがなくなったから探して欲しいとクラスメイトに頼まれたら探偵団で必死にさがした。アジトが欲しい!ということになって、雑木林にテントを張って秘密基地を作った。

 

 

そのころから、わたしは徐々に目立つことが好きになり、変人と呼ばれることに快感を覚えるようになっていった。周りのイケている女子がSPEEDや嵐が好きで、パラパラを踊っていたりするのを鼻で笑い、オリキャラが随所に登場する校内新聞を独自に刷っていろんなところに貼り付けた。寒さ対策にアルミホイルがよい!というテレビを見てひらめいたわたしは、冬の間アルミホイルを頭に巻きつけて登下校をした。異様な子供だったと思う。完全に気が狂っていると思われても仕方ないし、あのころに戻れるなら自分に平手打ちをしたい。

幸か不幸か、歴代の担任も変人が揃っていて、理解してくれる大人にめぐまれてわたしはすくすくと変な方向に成長していたのである。

高学年になってONEPIECEにハマっていた私は、ゾロにあこがれて剣道をはじめたがったが、図書室で剣道入門の本を借りて読むだけに終わった。試合前日は緊張してもかならず寝よう!というコラムが好きで繰り返し読んだ。結局のところ、寝たかっただけなのだ。

例に漏れず、将来の夢は漫画家だった。児童館の職員だったロリコンっぽいお兄さんに、同人誌即売会というものの存在を教えてもらったのもこのころだった。同人の存在がよくわからなかった私は、そのときハマっていたYAIBAや封神演義に、全知全能のオリキャラを出演させて脳内でアニメを見ることのほうが楽しいや、と思っていた。

ゲーム機は買い与えてもらえなかったが、ポケモンは親戚のお兄さんのお古をもらって徹底的にやりこんだ。コアな攻略本を読み込み、ピカチュウバージョンで既に努力値や個体値にこだわって、最強のラッキーを作っていた。

 

また、山の会のような、ガールスカウトのようなものに入会してキャンプなどをした。かなりサバイバルな体験もしたし、植物図鑑で得た知識が日の目をみた瞬間だった。わたしはそこでも変な子として目立つことができて満悦した。

ただ、サバイバルに必要なロープの結び方だけは、いくら練習してもできなかった。蝶結びができるようになったのも、5年生くらいのことのように思う。

 

 

実家は学習塾の経営を始め、わたしもそこに通っていた。親は夜遅くまで生徒を教えていたので、祖父母と過ごす時間の方が長かった。母はまだ、朝方にも会えていたが、父と顔を合わせるのは日曜の夜くらいだった。

勉強はいままで読んだ本の知識の貯金でスムーズだったが、机に向かって集中する、ということが苦手だった。

書道とスイミングとピアノを習っていたが、どれもこれもそこまで好きではなかった。イラストを描くことの楽しさに勝てるものはなかった。

 

ちなみに、このころの妹と弟に関する記憶はほとんどない。そもそも、家族に関する記憶が、異常にぼんやりとかすみがかって思い出せない。妹とはごっこ遊びをしていたな、とか、弟がはじめてしゃべったときのことや入院したことはふんわりと覚えていても、深い思い出がほとんどない。何があったのだろう。忘れたくて忘れているのだろうか。よくわからない。

 

 

 

 

自由奔放に生きていた小学校時代がおわり、わたしは地元を離れて、となりまちの私立中学校に進むことになる。

そこで待っているのはドストエフスキーのような重く陰鬱とした思春期の入口だった。

ただ、もうそろそろ一記事の文字数の限界が来る。

しかしながらわたしの自意識はまだ文字を必要としている。いくつかにわけることにして一応ここで切る。

 

 

 


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海ゆかば3覚書き

昨日、蒲田pioでの海ゆかば3に参加した皆様、スタッフの皆様、お疲れ様でした。とても楽しかったので、忘れないうちに文章を残しておこうと思います。

 

前日はいつもどおりうまく寝付けず、5時に起きて準備をし、売り子のお手伝いをしてくださるメタラーと8時に合流。サークル入場は9:30からなので会場にあるカフェで時間を潰しました。余裕だね~wとか言って・・・。

 

時間が来たのでサークル入場、見本誌を提出していざ設営!と思ったら・・・

敷き布、ラック、本立て、小物入れ、ガムテープ、おつり用タッパー、ポスタースタンドなどの設営基本準備をまるっと家においてきたことが判明( ;∀;)

つまり、読んでいるサークル参加未経験の方は以上の赤字は絶対に忘れちゃダメだよ☆っていういいHOWTOブログのネタになったわけです。そうでも思わないとやってられない。

 

半べそをかいている自分の横で、おもむろにユザワヤとキャンドゥの場所を検索してくれるメタラーの売り子。そう、iphoneならね・・・。「じゃあちょっと買ってくるわ」と言って走ってくれた結果、無事に設営ができました。本当にメタラーありがとう。メタルよ永遠なれ・・・。

 

そんな感じで11時になり、開場。

開場直後特有の超早歩きに特化したプロの武将達が、某がんばれがんばれ先生のところにドワァと向かっていって、関ヶ原かよ!すごい人気なんだな~!!と肌で感じました。

二次元の時代はエッチに甘やかしてくれる女の子が牽引しているのだろう。


 

おとなりのスペースは、Rapunzelさまと宇古木亭さまでした。

とってもよくしていただけて、本当にありがとうございました・・・!!(;_;)

 

そして自スペースにも、主に新刊をお求めに来てくださる方が。ありがとうございます・・・。

新刊は赤城本で、いつもの七駆ものではなかったので、誰にも手にとってもらえないんじゃないかと前日泣いていた杞憂が晴れました・・・。「濡れない雨」が売れなかったらただの「売れない本」だよぉ~とか思いながら泣いていたわけで、ああもう、恥ずかしい。

そんななか、FINさんやななさん、negiさん、さぶさん、篠宮さん川科さん、むぎごはんさん、ほかにも継続して読んでくださっている方が来て下さって、緊張がどんどん抜けていったし、ものすごく安心しました。本当にありがとうございます・・・。

絵が上手い人と会うとそれだけで画力があがったような気になるのなんでだろう・・・。

 

あと、御本を何度読み返したかわからないほど好きな同人作家さまが来てくださって、緊張でガタガタ震えながら応対させていただきました・・・。端的に言って死ぬかと思った・・・。

まじで憧れの方に会うと本当にどうしたらいいかわからなくなるし、挙動不審になるし、握手してください!って勇気振り絞ったら「風邪ひいてるんで…」って断られておもしろすぎたし、後光さしてたし、言葉かわしただけで神絵師になれたような気がした。

またお会いできたらいいけど、そのときはもうちょっとテンパらないようにしたい、したいなぁ、むりだろうなぁ・・・。

はああああああん(;_;)!!

 

お昼すぎに人の波もひと段落したので、自分も挨拶回りにいきました。

『優柔ペペロンチーノ』のぺろさん、ツイッターではいつもお世話になっていて、いままで機会があってもお話できなかったので・・・。

自分の誕生日を祝ってくださる直筆の色紙をくださって、もう、ちょっと、めちゃめちゃ嬉しかったです・・・。

一生の宝物にします。本当にありがとうございました(;_;)!

あと、『かまってちゃん工房』のカス太さんにもお会いしました!

素敵なポストカードいただけてとっても嬉しかったです・・・。本当にありがとうございます・・・。

 

 

色紙をかいて、15時すこし前に撤収。

メタラーも自分もとてもつかれていたので、そのまま解散しました。

帰宅後、身なりもそのままに即寝。

21時に起きておなかがすいていたので友人を招集して大戸屋のごはんを食べました。

資本主義の暴力性とか、もともと値段のついていないものをいかに流通させるかとか、このパフェはうまいとか、

神楽坂のおいしいごはん情報を交換したりとか、年相応ってなんだろうね、っていう話をしました。

 

 

帰りに駅前のシャクナゲがあまりに満開で、

『千利休だったらキレて全部切り落とすだろうな』と思うくらい素晴らしかったです。

 

 

そんな1日。

お世話になった皆様ありがとうございました!

 

 

 

ジョイ

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0412海ゆかば新刊

4/12海ゆかば3新刊の情報です。

感情の読めない戦闘マシーン赤城と、その姉『天城』(創作艦娘)のシリアス短編です

エロはないのですがヌードがありますのでR15です。

れ02洗剤日和 でお待ち致しております。

表紙は今から描きます。ギャピー



ジョイ

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